吉野(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ登儀村,大正7年成器村,昭和27年大成村,同32年からは国府町の大字。明治24年の戸数28・人口145(徴発物件一覧)。明治30年代に雨滝街道を改修,袋川右岸を通じて主街道となり,吉野経由は廃止となる。明治中期から養蚕が行われたが,昭和初期に廃れた。当地の生活は米作のほか昭和20年代より二十世紀梨の果樹園栽培,タバコ栽培が行われている。同42年電機工場を設立,主婦らの多くが電機部品製造の従業員となる。昭和30年代頃から農家の多くが会社員などを兼業する。昭和37年簡易水道を建設。同40年県道鳥取蕪島線と結ぶ町道を改修,同45年町道入口の吉野橋を永久橋に架けかえ,同50年集落の西から郡家【こおげ】町に通じる古道が県道中河原郡家線に昇格。世帯数・人口は昭和35年26・150,同45年26・135,同53年27・132。昭和10年頃まで娘による盆踊りが行われ近在の青年が集まった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7410349 |





