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若桜藩(近世)


江戸期の藩名外様小藩元禄13年以降鳥取藩の支藩として鳥取新田藩(西館家)と称し,明治元年若桜に陣屋を置いたため若桜藩と改めた別称若桜新田藩若桜2万石(因幡【いなば】国智頭【ちず】・八東【はつとう】両郡)を領した城主木下重堅は慶長5年関ケ原の戦の敗戦で自害したため除封同6年摂津国三田【さんだ】より山崎家盛が3万石で入封元和3年遺領を継いだ家治は備中国成羽【なりは】に転じ,若桜の地は鳥取藩32万石に編入された元禄13年鳥取藩主池田光仲の第5子清定が新田1万5,000石を分知され,鳥取城下に居所を営んだまま鳥取新田藩(西館家)を立藩享保元年5,000石が加増され合計2万石を領有した池田家は歴代松平の姓を許され,清定のあと藩主は定賢―定就―定得―定常―定興―定保―清直―清緝―徳定と続いた表面的には本藩の新田を分知された大名として独立したが,財政的には本藩の会計の中に組み入れられた廩米給付の家であった宝永2年には,石高1万5,000石に免3割8歩を乗じた5,728石6斗3升5合と夫口米・糠藁縄代といわれる付加税を合わせ合計6,248石5斗9合が支給され,これに合力米として1,500石が加えられている財政難に伴う本藩からの経済援助は幕府の公事をはじめ参勤交代,その他の諸事項に及び,本藩財政を圧迫した明治2年本藩の鳥取藩に合併し廃藩




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7410392