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邑智郡


関ケ原合戦の慶長5年11月徳川氏の代官頭大久保十兵衛・彦坂小刑部元正が石見銀山と領地を接収し,幕府領となった。元和5年浜田藩が成立すると郡内104か村のうち川本村・乙原村を除く江川以南の46か村が浜田藩となり,日貫【ひぬい】村ほか2か村は津和野藩,江川以北の44か村が石見銀山領と3分された。貞享2年八色石【やいろいし】村ほか6か村約2,000石が浜田藩より上地され銀山領へ編入。浜田藩では領内を7組に編成したが,郡内では市山村ほか10か村が跡市【あといち】組,市木村ほか8か村が市木組,出羽【いずわ】村ほか25か村が出羽組に分けられ,市木村・出羽村に代官所が置かれた。津和野藩の日貫【ひぬい】村ほか2か村は日貫組となる。石見銀山領は6組に編成され,祖式【そじき】村は佐摩【さま】組,九日市村ほか26か村が九日市組,川本村ほか25か村は大家【おおえ】組,谷住郷村が波積【はづみ】組に属した。銀山経営に必要な資材確保のため「銀山御囲村」32か村が指定されたが,郡内では祖式・別府・小松地・惣森・志君・奥山・吾郷【あごう】・湯抱【ゆがかい】・馬野原【まのはら】・枦谷【かたらがい】・内田・川(河)戸・石原の13か村がそれに入る。このうち別府・小松地・惣森・志君・湯抱の5か村は,忍原村とともに「炭方六カ村」に編入され,銀山への木炭供給地となる。慶長末頃から大森・荻原・粕淵【かすぶち】・浜原・九日市・酒谷を経て出雲国赤名を越え尾道への通路は重要な銀の輸送路となった。石見銀山領では領内警衛と歩一徴収のため要地に番所を置いた。これら番所には4,5か村1,500石程度の添村が指定されたが,郡外の小浜堀越・新切・温泉津出口・荻【おぎ】峠の4番所にも郡内から添村が指定され,番所の修復その他の経費負担の義務が課せられた。慶応2年,第2次長州戦争で幕軍が敗れると大森代官鍋田三郎右衛門は大森を撤退し粕淵を経て倉敷へ遁走した。その直後安濃【あの】郡鳥井村から起こった百姓一揆は江川流域の村にも波及したが,長州軍の進出によって鎮圧された。代官撤退後この地域は長州藩の軍政下に置かれたが,明治2年8月,大森県の設置により津和野藩を除く邑智郡の地域は維新政府の直轄下に入った。明治5年1月浜田県は大森・津和野の県出張所を廃止して,代わりに各郡に郡役所を設けて県官員を派遣することにした。邑智郡役所は市山に置かれ,同年4月に川本に移された。明治6年5月郡に代わって大区が置かれ,邑智郡は第2大区となる。郡役所は7年3月10日に大区役所となる。同12年これまでの第2大区を改めて邑智郡を再置した。郡役所は川本村に置く。同13年5月の島根県会は,郡役所にかかる経費節減を目的にした郡の統廃合案をまとめ,邑智郡については江川以南を那賀【なか】郡,以北を邇摩・安濃両郡に分割して合併することにして県令に建議したが,島根県の採用するところとはならなかった。県は明治23年8月1日付で郡制施行の予定でいたが,郡の統廃合や郡名の決定がおくれ,同29年に延期される。明治22年の戸数1万3,145・人口6万3,270。町村数は明治17年105,同22年30。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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