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乙原(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ吾郷村,昭和30年からは邑智町の現行大字。明治20年,鹿足【かのあし】郡畑迫【はたがさこ】の堀伴成が買収した銅ケ丸は,近代的施設を整備して,明治中期には山陰屈指の銅山となる。私立銅ケ丸小学校があり,同35年には149人が通学していた。同20年代に電灯・電話がつけられた。同40年丸析製糸工場が操業。昭和30年の世帯181・人口787。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7411322