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浅尾藩(近世)


江戸期の藩名外様小藩蒔田広定は豊臣秀吉に仕えて備中のほか伊勢・河内で1万1,316石を領していたが,関ケ原の戦で西軍に加担したため除封されたが,浅野幸長の執り成しで罪を許され,慶長16年徳川家康から備中のほか河内・山城・摂津で1万石余を与えられた寛永2年の朱印状によると,備中国内では賀陽郡2か村・4,431石,窪屋郡3か村・3,216石,浅口郡2か村・716石余で,備中国内の合計は8,364石,そのほか河内国大県郡1か村のうち104石,山城国久世郡1か村のうち432石,摂津国豊島・八部両郡で3村のうち1,116石,総計1万16石余となっている広定は寛永13年死去し,子定正は弟長広を3,000石で分知,自分は旧来の采地と合わせて8,310石余を知行して旗本となった3代定行も弟を分知,代々7,700石余を知行した文久3年11月12代広孝が,江戸市中警衛の功労によって1万石に高直しされ,諸侯に列して備中賀陽郡浅尾に陣屋を築き,名実ともに立藩した蒔田氏は参勤交代は行わない定府大名であった慶応2年4月長州第2奇兵隊陣地から脱け出した過激派約130名は倉敷代官所を襲い,隙をついて浅尾陣屋を襲撃した浅尾騒動と呼び,倉敷騒動と合わせて備中騒動とも呼ばれる明治4年の廃藩置県により浅尾県となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7414452