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柏島(近代)


 明治22年~現在の大字名。昭和42年からは玉島を冠称。はじめ柏崎村,明治35年玉島町,昭和27年玉島市,同42年からは倉敷市の大字。明治24年の戸数602,人口は男1,676・女1,564,学校1・水車場1・船60。江戸期に開かれた新田には綿作が広く普及し,玉島湊は繰綿の積出しで栄えた。明治中期以降外国産綿に押されて姿を消していくが,安い輸入綿を原料として地場資本による紡績業が発達した。明治25年柏崎紡績を設立。同社は中備紡績所を経て合名会社半田綿業となった。戦時中は軍需工場に転じたが,昭和20年内外共同紡績玉島工場,同26年綿糸紡績の柏島紡績玉島工場が操業した。昭和24年同構内に半田紡績玉島工場が設立されスフ糸を生産した。地域は畑地が多く,麦稈用裸麦,煙草の生産が多かった。麦稈真田編みは第1次大戦中が最も盛んであった。昭和8年国立タバコ試験場が設置され,黄色煙草の普及に努めた。同41年円通寺の南側に国民宿舎良寛荘が完成。一帯は円通寺公園で昭和34年県名勝に指定された。昭和26年八幡山へ玉島灯台が置かれた。同年の世帯数968・人口4,796。地内の大部分は標高30m前後の丘陵地で,麦・煙草・サツマイモを中心とした畑作であったが,昭和40年代から急速に住宅地化が進んだ。これは水島工業地帯に近いこと,昭和52年水島玉島産業有料道路(水玉ハイウエー)が地区の中央部を東西に通過したことによる。丘陵地一帯は民間の開発会社により,周辺部には公営住宅の建設が進む。昭和55年一部が玉島柏台1~5丁目となる。世帯数・人口は,昭和46年1,873・6,746,同51年2,453・8,832,同56年2,187・7,695,同61年2,186・7,694。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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