上中野(近代)

明治22年~昭和57年の大字名。はじめ今村,昭和27年からは岡山市の大字。明治24年の戸数47,人口は男111・女101,船12。昭和30年代までは米麦生産中心の農業地帯であったが,昭和初頭以降は湿田を利用して藺草も生産された。用水は西川用水から分水,昭和28年以降旭川合同用水を利用。同40年代から次第に宅地化の傾向をたどっている。明治25・26年には旭川・笹ケ瀬川の出水により甚大な水害を受けた。昭和8年村道が東西に貫通,同18年東端部に国道22号が開通した。黒住教発祥の地で,教祖宗忠を祀る宗忠神社や,明治32年建築の大教殿などのある一画は大元霊地と総称された。昭和45年日蓮宗正福寺建立。同年の世帯数447・人口1,517(男730・女787)。同57年上中野1~2丁目・西古松西町・大元上町・大元1~2丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7415783 |