上林村(近世)

江戸期~明治22年の村名。備中国窪屋郡のうち。宇喜多氏の支配を経て,はじめ浅尾藩領,のち分知して旗本領,文久3年高直しにより浅尾藩領。村高は,「備中至宝記」546石余,「天保郷帳」608石余,「備中村鑑」526石余,「旧高旧領」712石余。元和年間当村東部に下林村飛地をつくる(県郡治誌)。備中国国分寺・国分尼寺があるため,古くから開けた地域であると考えられる。用水は十二箇郷用水による。寛政年間頃から字松井の矢吹貞潤・高伯が漢方医を業としながら配置売薬を行い,嘉永年間には松井集落の8割が売薬に従事し,婦人病の特効薬傘の下の懸場を四国方面まで持っている。氏神は山本神社,ほかに諏訪神社・稲荷宮,寺院は真言宗三等山金竜寺・仁和寺派日照山国分寺がある。国分尼寺は礎石のみを残す。浅尾県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属。同年下林村飛地を編入。同9年当村飛地を下林村に編入。同22年三須村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7416030 |





