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寒河(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ福河村,昭和30年からは日生町の大字。明治24年の戸数278,人口は男782・女753,学校1・船85。大正7年中日生港~三石間の6.4kmに索道を張り300kg運搬できるバケットが設置され,1時間で中国地方東北部の耐火原料・石材・砂利・鉄材・石炭・コークスを送り,三石からは耐火原料を北九州まで150~200tの機帆船で輸送されたが,戦後トラック輸送に変わり,昭和27年閉鎖された。昭和9年広瀬大阪耐火煉瓦が深谷に工場を移し製造を開始,同36年品川白煉瓦に併合。昭和30年国鉄赤穂線の赤穂~日生間が開通し,同37年寒河駅が建設された。同32年石谷川・西谷川の合流点付近の福の神に伏流水を水源とし寒河全域に給水する簡易水道が完成。同年吉ケ浦に塵芥焼却場が建設されたが,ゴミ排出量の増加により,昭和44年字スワに移転。昭和31年浜山地先の海面約21haを干拓し,18haの農地造成を目的に県営事業として着工。堤防の不等沈下などで工事が遅れ,同44年国が米の生産調整を実施し開田を抑制したため目的を変更し,北半分を運動公園・体育館・幼稚園,南半分は企業地に予定された。昭和39年福河小学校が日生東小学校と改称,同43年現在地に新築移転。同47年字スワに60戸の住宅団地が完成。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7417416