西原(近代)

明治22年~昭和27年の大字名。はじめ甲内村,明治35年河内村,大正11年河内町,大正15年からは西阿知町の大字。当地はつねに水との闘いを強いられ,大正末期にようやく酒津からの大堤防が完成した。明治24年の戸数263,男625・女568,学校1・船15。大正2年氏神として天満宮を現在地に遷宮。明治45年西阿知小学校が創立,当時11学級,教員13人・生徒数447人であった。昭和22年西阿知中学校も同所に設立され,4学級132人であったがのち倉敷第一中学校と改称して西阿知へ移転。昭和14年船穂橋が開通し,船穂や玉島の長尾あたりとの交通が便利になった。帝国書院を設立,中等学校の地理教科書を編集した守屋荒美雄は当地の出身。同28年1月1日西阿知町を冠称し倉敷市の町名となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7418527 |





