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迫川(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ灘村,明治39年灘崎村,昭和24年からは灘崎町の大字。明治24年の戸数122,人口は男307・女271,学校1・船27。同43年の戸数232・人口1,116。日清戦争前後名古屋方面からの新式織機と新技術の導入が計られ,雲斎織や広幅物の労働服地などの生産に従事する人が増加したことと,明治43年国鉄宇野線由加駅が開業したことにより,当地は女工としての働き口があるとして四国にまで知られるようになった。明治33年御崎神社の玉垣が整備され,同35年には西光庵が当地に移建された。同45年灘崎尋常小学校迫川分教場設置。明治37年迫川郵便局開局,同42年電信を開始,電話開通。明治34年味野警察署迫川駐在所が設置され,昭和26年国家警察児島地区警察署,同29年以後は玉野警察署に所属。同年由加駅は迫川駅と改称,同35年には電化され,その後無人駅となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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