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藤野村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。和気郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は「領分郷村高辻帳」「備陽記」609石余,「天保郷帳」「旧高旧領」で738石余。化政期の和気郡手鑑(和気郡史)で高609石余・又高129石余,田29町余・畑23町余。家数・人数は,「備陽記」で118軒・878人,和気郡手鑑で307軒・1,030人。また,地内は宿・北・田が原・坂本からなり,育麦蔵は1か所,特産物は綿花,春秋の牛市がある。寛文6年寺院淘汰で日蓮宗法殻山福昌寺教善院が廃され,僧乗仙が抗議の火定に入った。安政元年藤几蔵宅に寺子屋が開かれ,寺子数は男25・女12。明治4年岡山県に所属。同21年の戸数213・人口988。明治5年の学制施行で,はじめ実成寺に置かれ温故館といった119番小学を田が原の藤後董治宅に,120番小学を坂本の総持ち空家に開設。明治7年119番小学は,野吉村の118番と太田原村の121番小学と合併して野吉小学となり,120番小学は藤野小学となった。同年,同小学は,森村の117番小学などを合併。同22年藤野村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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