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虫明(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ裳掛村,昭和33年からは邑久町の大字。明治22年の戸数473・人口1,858。同24年の戸数412,人口は男1,005・女871,学校1・船242。明治33年裳掛尋常高等小学校設立。同39年虫明漁協創設。明治・大正期の特産物に虫明焼・干えび・このわたのほか,ボラなどがあった。大正年間に虫明焼の間口窯が森香州により再興され,その後岡本英山・黒井一楽が昭和窯として発展に寄与した。大正8年電灯線架設。同13年寒川バスが,同15年には邑久自動車の定期バスが開業。海上交通は明治から大正期にかけては不定期の貨物船であったが,大正末期から南備海運の定期船が岡山との間に就航,昭和30年廃業。昭和5年国立長島愛生園,同11年国立邑久光明園開設。同26年頃からカキ養殖が漁業の中心となり,同38年頃に大発展。同41年町漁協成立。同50年のカキの生産量2,500tで,全国2位となる。同58年のかき養殖戸数136,船360隻,かき筏2,800台,漁猟の定置網26,漁獲高は150t(邑久町漁協資料)。昭和52年ブルーハイウェー(東備西播有料道路)が開通し,同54年黒井山にはグリーンパークが開設され憩の場となり,大平山には勤労者いこいの村が建設され,全国各地から利用者が訪れている。世帯数・人口は,昭和45年1,475・5,073,同61年781・3,682。同63年長島との間に橋が架けられた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7419893