100辞書・辞典一括検索

JLogos

32

弓削(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ熊山村,同28年万富町,同30年からは瀬戸町の大字。明治24年の戸数120,人口は男283・女246,学校1・船23。昭和25年の人口713。農村地域で水稲耕作のほか養蚕業も発達し吉井川沿いの自然堤防には桑畑が作られた。大正12年には養蚕の発達と蚕業守護のため弓削養蚕神社を新築し,福島県会津若松市の県社養蚕国神社から天照大神・保食大神・若彦霊神を祭神として勧請している。畑は吉井川の中州にもあり,対岸の二日市への交通手段として渡船を使用してきたが,昭和5年南熊山橋を架橋。その後幾度か流失し,同13年鉄筋コンクリート橋が竣工した。その後の老朽化で同54年,上流に新しく弓削橋が架橋された。弓削尋常小学校は,明治43年高等科を置き弓削尋常高等小学校となり,昭和16年熊山南国民学校,同35年千種小学校の分校,同37年本校に統合され閉校。明治35年・大正7年をはじめ当村はしばしば洪水に見舞われた。昭和2年公会堂を利用し弓削幼稚園が開園したが,同27年廃園となる。同50年の世帯数118・人口475。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7420204