有留(近代)

①明治22年~現在の大字名。はじめ有保村,昭和29年からは向原町の大字。戸数・人口は,明治22年297・1,617,同24年332・1,619。大正12年の人口1,294,昭和20年の人口1,172,同40年の世帯数157・人口648。過疎化が進み無住地区も発生している。マツ材・クリ材・パルプ・杭木・枕木・チップ,キノコ類を多産した。第2次大戦中実行組合が松根油瓶詰工場を経営し,養蚕・養鶏などの副業を指導した。昭和18年から鷹山銅山再開で400人もの鉱員・徴用・奉仕隊が稼働し鉱山町も出現,一時的なにぎわいをみせた。同29年一部が高南村有留となる。昭和22年有保中学校校舎が共有林を伐採して新築,同31年向原中学校に統合された。昭和30年全戸に施設された有線放送も共有林を売却して資金とした。終戦直後から西光寺に保育所が設置され,幼児30名を預かっている。同60年350町の共有森に林道が整備され,植林事業を開始。②昭和29年~現在の大字名。昭和48年からは白木町を冠称。はじめ高南村,昭和31年白木町,同48年広島市,同55年からは安佐北区の大字。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7420602 |





