興友(中世)

室町期から見える地名。伊予国越智郡下島のうち。下島(大崎下島)は元来,伊予国の大三島神社の所領であったが,応永年間に竹原小早川氏の庶流小早川徳平が大三島社社務職の善式部少輔善麻の養子となった縁で譲与された。応永29年卯月22日付善善麻女姓某連署譲状写には徳平に譲られた所領として「下島内 久比浦 大条浦 興友浦」と見える。ついで,徳平の所領を伝領した小早川位(円春)が宝徳3年7月に鶴市に譲った所領中にも「伊予国三島七島之内下島之事……一興友浦」とある(小早川家文書)。以後,近世期大崎下島は広島藩領となり,当地も安芸国のうちとなった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7421133 |