100辞書・辞典一括検索

JLogos

35

川東(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ東城村,明治31年からは東城町の大字。東城川上流域で流出する川粉鉄を採取し久代村の永久山鈩へ売ることが大正期まで続いた。明治23年川東簡易小学校を東城尋常小学校に合併。校舎跡はのち郡立養蚕講習所となった。明治24年の戸数139・人口814。同32年天理教川東教会所設立。大正4年川西に東城水力電気が設立され,電灯が普及し,川東下は同7年点灯。同9年東城~新見間にバス便運行。新見東城線道路は同10年県道として改修。昭和5年三神線(現国鉄芸備線)東城駅開設。同年東城川に駅前橋を架設。同駅から大橋へかけて新道が設けられ,東本町となり,その東側の私道を昭和町通りと称し,同9年昭和館が開場。大橋から下流へ向け,昭和5年頃川土手に町道ができ,桜並木を作り,桜町通りと称した。同19年字有光へ東城国民学校が移転。同20年広島市立観音国民学校児童132名が集団疎開した。広島司法事務局東城出張所が広島法務局東城出張所となる。同年射場橋が流失し,同26年栃木橋と改称。同30年東城中学校が焼失し,同33年字有光に移転落成。南部に豊富な石灰岩を原材料として石灰岩工業が興り,昭和8年頃から炭酸カルシウムを,同25年からはセメント瓦・建築用コンクリートブロックなどを生産。同30年産業道路が完成。同40年新見―東城―福山間の県道が国道182号となる。同42年中央橋完成。同44年町立東城保育所開設。同53年東城消防署開設。中国自動車道北房~三次【みよし】間が開通し,東城インターチェンジ業務開始。世帯数・人口は,昭和35年445・1,727,同45年466・1,507,同55年471・1,428。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7421574