100辞書・辞典一括検索

JLogos

28

玖村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。安芸国高宮郡(もと安北郡)のうち。広島藩領。明知・給知入り交じりの地。村高は,元和5年「知行帳」では具村と見え549石余,「芸藩通志」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。「郡中国郡志」によれば,戸数194(うち百姓181,浮過8,桶屋2,寺・船大工・木挽各1)・人数810,牛65,株船1・肥船9,用水は長さ8町の田中井手など井手溝11・雨池1から取水。延宝2・4年の洪水で8町余の耕地が流失。太田川右岸の飛郷一ツ矢はこの洪水による流路変更により生じたものという(旧県史)。特産に槍の柄・荷棒・鍬斧など各種道具の柄,栗下駄・桐下駄・焼杉下駄などの下駄がある。「当村百姓五分方諸方へ稼ニ出,荒地相調,於当村居職ニ仕上ケ」(郡中国郡志),「玖村下駄」の名で売り出した。下駄の製法は諸木村の吉備津屋清四郎が備中から伝え,承応・明暦年間の頃には当村をはじめ近隣諸村でも生産が始まった。文化9年藩は当村に山方役所の出張所を置き,原材の供給と生産の助成をはかり,また中島・上深川・中深川・下深川・諸木・末光・岩上・玖の8か村に荒木取りの鑑札を下付した。翌10年には広島城下に株下駄屋48軒を定め,生産者の直売・他所売を禁止するなどの統制を行った。深川筋村々の農民はこれに反対の嘆願を行い,同12年自由販売の権利を確保した(高陽町史)。栃木地挽も行われ,製品は紀州へ売られた。また「玖村莚」の産出もある(同前)。小湊に発着する株船は当村および岩上・末光・諸木の4か村の津出米などを積み下した。真宗本願寺派円正寺は明見山と号す。境内にある地蔵堂の本尊は行基作と伝え,天文20年真宗改宗以前の本尊という。宮山八幡宮は中深川村久都内氏抱え。明治4年広島県に所属。同7年小学校涵養舎を設立,生徒数は男26・女5。同10年飛地一ツ矢を八木村に,同村の飛地瀬尻を当村に編入。同19年の木履生産戸数81・職工数88・生産量32万足で,木履生産の中心地となる(高陽町史)。同21年の戸数181・人口949。同22年深川村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7421680