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神田村(近代)


 大正7年~昭和30年の豊浦郡の自治体名。神田下村が改称して成立。大字は編成せず。大正9年の世帯数822・人口3,603(男1,913・女1,690)。同年の職業別人口は,農業1,275(うち養蚕41)・漁業1,628・工業722・商業110・交通運輸188・公務および自由業60。同12年の田177町6反・畑37町3反。同年の運輸機関は,馬2・牛216・乗用馬車1・荷牛馬車37・人力車5・自転車147・荷車87・乗用貨物自動車3,発動船17・洋型帆船10・和型帆船1・船小船219。同13年の大型漁船機帆船16・鰮網船49(県豊浦郡郷土教育資料)。大正10年からは特牛【こつとい】~小串間,同11年には特牛~西市間,特牛~滝部間に乗合自動車が開通した。また同11年には特牛~下関間に貨物自動車が運行し,特牛~角島間に定期船が運航。また,昭和3年には国鉄山陰本線特牛駅が開業し,その後,同駅から特牛港まで山陽電気軌道バスが運行した。世帯数・人口は,昭和5年794・3,546(男1,760・女1,786),同22年930・4,226(男1,958・女2,268)。同30年の「合併申請書」によると,世帯数907・人口4,339とあり,阿川駅~島戸間に1日数往復の豊北交通のバス便があり,特牛駅では列車ごとに山陽電気軌道バスが特牛港まで運行し,さらに島戸まで延長された。また産業の記事としては,年産額100貫,鰯を始め,その他の魚貝類・ウニ・海藻類など2億円に達し,当村の産業中優位を占めるとあり,農業はこれに次いで田畑260町歩,米・麦・タバコ・甘藷など年額3,500万円を産すとある。同30年豊北町神田となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7425184