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神代村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。大島郡のうち。岩国藩領。はじめ由宇組,元禄2年大畠組,同15年再び由宇組に属す。なお,宗門改などは萩藩大島宰判の代官が所管した。村高は慶長5年吉川広家領地打渡注文(吉川家文書1/大日古)に1,087石余,同15年検地帳1,637石余,寛永2年検地帳2,720石余,「天保郷帳」2,758石余,「旧高旧領」3,006石余。「享保増補村記」によれば,小名として,畑・大バン・山田・水尻・宗広・高尾田・正光・後迫・岡田・行光・城ケ崎・平松・平床・平原・赤石・原・公文所・時森・林・岩カリ・浦・本谷・中山・坂川・石神・クシ,由宇組代官の支配下にあり,享保年間の高2,995石余,人数2,278(男1,172・女1,106),馬13,牛240,家数424(神代浦27・石神浦43を含む),船数50(原9・神代浦20・石神浦21)。同書には神代浦,および石神浦では漁をしたが,「神代浦猟師,常ハ渡船ヲ乗ル冬ハ瀬戸貝ヲ取。石神浦,年中ノ猟大畠浦同前八月ヨリ十月マテエイ縄アリ」とある。正八幡宮が本谷にある。寺院は畑に安楽寺,正光に教念寺,原に明照寺,本谷に光明寺・滝観音堂があった。光明寺は昔は臨済宗芸州安国寺末の大寺であったが,関ケ原の戦後は衰えた(享保増補村記)。また,滝観音堂には滝があって,かつては滝見の観音があった(同前)。明治4年山口県に所属。同9年から玖珂郡に属す。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7425362