四代村(近世)

江戸期の村名周防【すおう】国大島郡長島のうち長島南東部の小湾頭に位置している地名の由来は,かつては島尻といい,高札場・番所・勘場があり,上関・戸津・蒲井・白井田の4か村を支配したので,4か村の代わりという意味によるという(注進案)萩藩領上関宰判に属す村高は,元文3年135石余(地下上申)同年の家数36・人数168(男75・女93)「注進案」によれば,田5町4反余・畑22町7反余,家数138・人数787(男414・女373),職業別家数は農業118,商人13など,産物は米66石余,麦228石余,大根5,000貫,白木綿・縞木綿3,705反,漁業収入銀25貫余小名には,元文3年は獺越【うごし】・荒神ノ鼻・安津・白浦・たこの浦・台・道仁カ浦・横生石・天田島(地下上申),天保13年は浦村・同人ケ浦・田の浦・正庄・白浦・岩影・立山・横浦・中ケ迫・阿津・押登・田の尻・細折・西細越・細越・東猿ケ獄・西猿ケ獄・長の木が見える(注進案)四代八幡宮は四代前浦に鎮座し,祭神は八幡大神ほか3柱,山城国石清水八幡宮より勧請した

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7425488 |