周防村(近代)

明治22年~昭和30年の熊毛郡の自治体名。立野・小周防の2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。役場は小周防に設置。明治24年の戸数535・人口2,923(男1,492・女1,431),厩28,寺院7,学校2,水車場16,船13(徴発物件一覧)。同35年未曽有の暴風雨に襲われ,島田川の堤防が決壊し,当村だけでも圧死者1名,牛の流亡2頭,田畑の浸水236町,荒廃23町5反余,宅地の浸水27町6反余,山林の崩壊21町歩,家屋の浸水180戸,流失13戸,倒壊37戸,村道の破壊140か所,延長4kmの被害を受け,損害見積総額は9万8,368円の巨額にのぼった(光市史)。昭和4年の「県勢一覧」などによると,田地350町9反余・畑地138町2反余・山林465町2反余・宅地8万1,211坪,産物の年間生産高は繭4,787貫・竹皮笠5万2,110枚・篩9,200個・叺3万5,000枚。同29年度の工業製品の年間生産数量は,竹皮笠600枚・雨笠4,000本・ビニール合羽2万枚・ビニール帽子覆3万5,000枚・セメント瓦90万枚・厚型スレート50万枚などで,地内には鉄道用砂利採石場,建築用コンクリートブロック製造所,清涼飲料工場などがあった(周防村勢誌)。明治35年の戸数536・人口2,943(男1,490・女1,453),大正元年521戸・3,196人(男1,571・女1,625)。世帯数・人口は,昭和15年506・2,459(男1,234・女1,225),同30年569・2,905(男1,390・女1,515)。昭和25年小周防の一部(字中村)を勝間村(現熊毛町)に編入。同30年光市の一部となり,村制時の2大字は同市の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7425628 |