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深川村(中世)


 戦国期に見える村名。周防【すおう】国玖珂【くが】郡のうち。山代のうちの八ケ(八ケ村)に属す。弘治4年閏6月11日付の毛利隆元判物(閥閲録52)によれば,兼重弥三郎(元宣)は,毛利隆元から「山代八ケ之内本郷并深川両所」の代官職を申し付けられている。次いで永禄11年3月6日,兼重元宣の嫡子千鶴丸(のちの元続)は,父元宣の手次の証文によって毛利輝元から同代官職を安堵されている(同前)。年未詳の周防国山代四箇郷検地前付立(毛利家文書4/大日古)に深川は散使兼重弥三郎の定納分とあり,米166俵・代66貫400文であった。永禄7年10月吉日の「中国九州御祓賦帳」に「ふか川殿」「ふか川木工助殿」とあり,当地に在名の深川を名乗る小土豪の存在が知られる(県史料中世上)。年代はややさかのぼるが,天文2年11月15日紀銘の深福寺鐘銘に「防州路山代之庄深川村畑鐘銘」とあり(寺社由来1),願主は「藤原朝臣胤兼」である。この人物の傍注に「三家本将監の血続の者三家本備前事」とあり,三家本氏が深川氏と称したのであろう。なお「大永記録」(山代温故録)では深川畑と見え,刀禰は深川木工之允であった。天文年間の「竹内正虎記録」(同前)にも刀禰は深川木工之允とあり,「三家本家系図」に見える三家本木工之允と同一人物であろう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7426367