宮野村(近世)

江戸期~明治初期の村名。吉敷郡のうち。宮野庄村とも称する。萩藩領。山口宰判に属す。村高は慶長15年検地帳に4,796石余,寛永2年検地帳で5,911石余,寛延元年は6,636石余(地下上申),「天保郷帳」では古くは宮野村とあり宮野庄村と見え6,286石余。享保13年には宮野を冠する恋路村1,986石余・中村1,427石余・桜畠村1,625石余・七房村1,487石余に分けて記され,桜畠村は家数165・人数668,御米蔵1,小村は江良・平野・桜畠・畑・関屋川原,庄屋1人,畔頭4人,牛馬126,寺社は禅宗の妙寿寺,真如寺・竜興庵・法明院および三の宮神社(仁壁神社)など,恋路村は家数178・人数543,御米蔵1,小村は恋路・瓜畦・長谷・中・岸本・桑原,庄屋1人,畔頭4人,牛馬140,寺院は真言宗清水寺・禅宗洞泉院など,中村は家数145・人数481,御米蔵1,小村は熊坂・堤・大山路・大藪・関屋があり,庄屋1人,畔頭3人,牛馬120,寺院は禅宗法泉庵,七房村は家数164・人数525,御米蔵1,小村は石丸・入野・岩川・七房・仁保路・堂道・杖坂,庄屋1人,畔頭4人,牛馬137,寺院は真宗慶福寺・禅宗竜花院・同宗蓮花寺など(同前)。「注進案」によれば,宮野庄として恋路村・中村・桜畠村・七房村が各々あり,恋路村は高1,924石余,家数157・人数635,中村は高1,544石余,家数129・人数559,桜畠村は高1,823石余,家数153・人数596,七房村は高1,625石余,家数162・人数611。近世初期まで中村に一ノ坂銀山があった。恋路村はもとの越道【こえじ】の里で(注進案),同地から山を越えて仁保村方面に出たことによる地名。仁壁神社は長治元年現在地に移され,移転の時,同社に1,000本の桜を植えたことから桜畠の地名となったといわれる。また,同社は周防三の宮と称され,同社領は26石(注進案)。常栄寺の雪舟の庭と呼ばれる庭園は大正15年に国史跡および名勝となる。なお,「山口古図」によると,山口の町の東端,上金古曽町の東,仁壁社の南方に瓢町・折本町が記され,「注進案」には桜畠村の小名に折本が見え,瓢は記されない。「旧高旧領」では宮野上村と宮野下村とに分かれており,明治初期にこの2か村に分村。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7426622 |