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八島(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ上関村,昭和33年からは上関町の大字。明治22年の戸数155・人口732(上関村事務報告書)。同24年の戸数157・人口746(男377・女369),寺院2,学校1,船60(徴発物件一覧)。明治期から牛の飼育が盛んで,80~100戸が平均3~4頭飼育。明治10年代以前は牧畑制であった。昭和7年県の補助をうけて放牧場の改良整備を行い,同15年水呑場14か所設置。同34年農山村漁村建設総合対策特別事業により放牧場の整備改善を図り,同53年より4か年継続事業で団体営草地開発整備事業を行った。当地には「ネガリ」という行事があった。正月4日の朝,門松等の飾りものを持って山頂に登り,これを燃やし,その火で餅を焼き,牛に食べさせた。漁業は明治期からイワシの地引網の網元が5軒あった。また島の周囲には7か所の網代があり,漁も盛んであった。大正元年地引網から船引網へかわった時,9帖のうち5帖が廃業,その後昭和40年代にすべてが廃業した。当地と本土との連絡は,明治12年郵便物を運ぶ小帆船が就航したのが始まりで,その後民営,八島区営とかわったが,昭和29年八島~上関線を上関村道として認定して村営になり,同33年町営に移行,現在上関丸が就航し1日2往復している。島の南端平根崎にある灯台は,明治42年に点灯。昭和33年平郡島(柳井【やない】市)経由で電気を導入。同44年簡易水道完成。同55年地区電話加入開通。同56年高齢者コミュニティーセンター完工。世帯数・人口は,昭和3年135・616,同30年140・665,同40年149・476(男219・女257),同50年105・277(男121・女156),同60年91・168(男75・女93)。同61年小学校廃校。島民の年齢は高齢化している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7426708