池谷(近代)

明治22年~現在の大字名。昭和42年からは大麻町を冠称。はじめ堀江村,昭和28年堀江町,同34年大麻町,同42年からは鳴門市の大字。明治24年の戸数220・人口720(男362・女358),厩32,寺1(徴発物件一覧表)。同41年堀江郵便局が開設された。大正5年撫養~古川間に阿波電気軌道の鉄道が開通し,池谷駅が設置された。同12年同社の支線鍛冶屋原線が開通し,池谷駅はその分岐駅となった。昭和8年同鉄道は国鉄に買収され,同10年池谷駅は西方約500mの現在地に移転し,国鉄高徳本線と同鳴門線の分岐駅となった。駅跡には産業組合の農業倉庫が建てられ,第2次大戦後は農協倉庫として利用されてきたが,昭和50年県道のバイパス工事のため解体された。昭和13年池谷駅の取り合い道路が県道に指定された。同24年県立撫養高校(現県立鳴門商業高校)の堀江分校が設置され,同26年県立鳴門高校に移管され同校の堀江分校となる。同31年生徒募集を停止し廃校となった。同校跡地はのち八紘商事の縫製工場となり,のち八紘縫製と改称,同48年頃廃止された。同36年頃大麻町民プールが完成。同39年大麻中学校用地として勝明寺池の埋め立てがはじめられ,同41年に同地に大麻中学が移転。同43年大麻学校給食センター,同44年電信電話公社大麻電話交換所が完成。同50年池谷から南方市場へ達する道路が県道北島池谷停車場線となった。同54年中内遺跡などの発掘がはじまった。同55年主要地方道鳴門池田線の東半部が開通,同56年池谷トンネルが完成,同57年同線の西半部も開通する。島根・栃木両県知事を歴任した小川喜一や第2次大戦後京都大学総長に就任した鳥養利三郎は当地の出身である。昭和40年代から米・麦作は減少し,レンコン栽培が増加しはじめた。ナシ栽培なども盛んである。工産物では清酒・醤油などの醸造や粘土瓦などの製造も盛んであり,昭和6年頃まで大谷焼の製造も行われた。世帯数・人口は,同40年198・851(男394・女457),同50年202・784(男357・女427),同60年210・740(男347・女393)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7427021 |





