小浜(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ宮浜村,昭和31年上那賀村,同32年からは上那賀町の大字。明治24年の戸数33・人口180うち男94・女86(徴発物件一覧表)。字橋ケ谷に宮浜村役場を設置。明治26年から同37年まで富岡区裁判所小浜出張所が開庁されていた。明治36年頃から筏流しが組織的に行われるようになり,地内谷口土場に集められた材木は,下流の那賀川河口古庄まで40km余を平均2日がかりで乗り下げた。筏一組は,丸太15本位,幅8尺に組み,縦に6列に継ぎ80尺として1人または2人で乗り,帰りは筏の上に積んでいった自転車で帰って来た。明治40年頃の日当は米5升位であった。明治37年労働条件の維持向上と筏路をつくるのを目的とした那賀川運材業組合が結成された。最盛期には那賀川筋で940人の加入者があった。昭和25年天皇の流筏状況御上覧があった。その後筏師たちの本拠谷口土場の1km余り上流に長安口ダムが築造されるに及び,昭和30年組合は解散した。大正15年の釣橋架橋完成までは,小浜と旧海部郡谷口間に渡船場があり盛況を極めた。その釣橋も長安口ダム建設に関連して昭和29年新しい重量橋にかけかえられた。昭和11年入院室を完備した宮浜村立診療所が発足,同31年上那賀病院と改称。昭和31年那賀林業事務所が開設,那賀川流域の総合的な開発を企図し,昭和25年に長安口ダムと日野谷発電所の開発に着手,同30年一部発電,同32年6万1,000kwの出力で全発電を開始した。桜谷小学校に併置されていた宮浜中学校は,同28年当地に新築移転され,同46年の火災の後,同47年鉄筋コンクリート2階建の現校舎が完成。昭和48年過疎対策の一環として総工費4,700万円余を投じて5棟・10戸の住宅が完成した。世帯数・人口は,昭和55年117・327,同60年93・277。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7427676 |





