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小松島(近代)


 明治22年~昭和32年の大字名。はじめ小松島村,明治40年小松島町,昭和26年からは小松島市の大字。明治中期頃までは小松島浦とも称した。明治24年北町に勝浦郡役所を設置,郡都として栄えた(勝浦郡志)。同年の戸数953・人口5,102(男2,389・女2,713),厩42,寺4,学校2,船211(徴発物件一覧表)。同32年,神田瀬川河口の築港工事により,北岸地域の埋立工事が進み,一条通りから六条通りの町筋が形成され,市街地が拡大された。大正2年幾原知重はアメリカに留学し,飛行士となり,自費で飛行機を購入して帰り,小松島駅前広場から四国初の飛行を行った(小松島市史)。ライト兄弟が,世界ではじめての飛行に成功した1903年からわずか11年後のことであった。鉄道は同年徳島~小松島間に軽便鉄道が開通したのをはじめ,同5年には中田~古庄間に阿南鉄道が開通している。さらに同8年には,阿波国共同汽船小松島営業所が設置されて,徳島の表玄関となった(小松島市史)。同11年の交通機関について,「勝浦郡村誌」によると,汽船2・帆船および漁船789・荷馬車1,945・人力車113・自転車1,951となっていて,人力車全盛の時代であった。小松島港を中心とする,中町と北町を結ぶ道路が整備され,大正3年には神代橋下流に千歳橋が架設され,商業都市としての基礎ができた。同12年現在の東洋紡績である大阪合同紡績が,神田瀬川北岸の湿田地帯を埋め立てて工場を建設した。昭和32年小松島町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7427685