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古毛(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ羽ノ浦村,大正7年からは羽ノ浦町の大字。明治24年の戸数85・人口498(男232・女266),厩20,船20(徴発物件一覧表)。那賀川北岸平野は当地を要所とした扇状堆積地であるため,万代堤が決壊すると被害は下流の村々に扇状にひろがっていくが,同時に那賀川下流北岸平野の水源地でもあった。江戸期の広瀬用水の開削は,大井手用水とともに那賀川北岸の農耕地帯をうるおしたが,本格的な近代工事が行われたのは昭和に入ってからである。昭和17年那賀川北岸水利組合連合会結成,その後農林省直轄事業として同23年那賀川北岸用水路工事に着手,同30年完成。大井手・下広瀬・広瀬上堰などを1か所に統合し,洪水時の決壊を防ぐことができ,那賀川下流北岸平野に豊かな水を供給する用水路が確保された。この間大正13年から同14年にかけて,小作料をめぐる岩脇の小作争議に当地の農民も加わり,古毛原分の倉庫に米俵を積み上げて不納同盟を結び,簑笠姿でデモ行進・演説会などが行われ,投獄者を出したが,その結果,米年貢は2割引,麦年貢は約6割引で鎮静した。その後昭和20年の農地改革で自作農化が推進された。交通の面では,明治39年羽浦―立江―田野―地蔵橋を経て二軒屋に至る馬車が開通し,古毛・下大野字明見には数戸の馬車業者ができ,同42年頃に県道古毛越線が開通して,馬車業者は繁盛した。しかし大正5年阿南鉄道により中庄~中田に鉄道(現国鉄牟岐線)が開通し馬車は廃業。同年古庄の新渡しに岡田式渡船が用いられ,同8年古庄起点の阿南自動車協会創設や昭和3年那賀川橋の開通により交通の要路からはずれた。明治11年古毛小学校が設立され同18年岩脇小学校に合併した。昭和29年字小谷口に古毛保育園創設,同49年明見に移転しこばと保育園となる。世帯数・人口は,昭和45年108・520,同50年101・446,同55年98・446。昭和48年に羽ノ浦町が農村総合整備モデル事業の指定を受けたことにより,国道55号からはずれた当地でも集落道路・農道整備をはじめ農業用水・排水路・圃場などの整備がなされ,ほかに西農村環境改善センター・古毛公民館・古毛農村公園を整備活用して農村の生活向上に努めている。農業では米作を主としながらも,ビニールハウスによるキュウリなどや園芸作物・果樹の栽培を行う農家が増えた。また農業用機械の普及による省力化などのため,農業以外の産業にも従事する兼業農家も増加しはじめている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7427688