芝生(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ三野村,大正13年からは三野町の大字。三野村,三野町の中心として発展。三野町役場・農協・郵便局・公民館・銀行などがある。明治24年の戸数216・人口866(男441・女425),寺1,学校1,水車場3,船7(徴発物件一覧表)。地内の通称上西・東・門所・中筋東・西などは農業を生業とし,明治末期から大正,昭和初期には養蚕が行われた。また旧県道沿いの通称東町・仲町・本町・西町・西新町などでは商業が盛んであるが,坂ノ上は小学校や中学校があり,文教地域となっており,河内谷川沿いの栄町には病院や老人ホーム・町営団地が造成されている。世帯数は,大正9年270,昭和5年264。昭和の初めに西新町に新県道が開通すると,西町では商店がさらに多くなり,江口潜水橋が架設された同30年以降,芝生繁華街となり,薬局・料理店・スーパー・銀行などが軒を並べている。河内谷川沿いには,昭和24年に町立三野病院ができ同29年頃からは町営住宅が建設され,同34年中筋西町内会から独立して栄町団地となり,現在100世帯を超える大団地となっている。同38年病院に接して養護老人ホームができた。また同地域には工場も進出しており,経木工場・木工所・カーペット工場などがある。昭和22年三野中学校が坂ノ上に創立。世帯数・人口は,昭和36年407・1,750(男824・女926),同45年454・1,676(男773・女903),同55年540・1,683(男774・女909)となっており,世帯数の増加と女子の人口が多いのが特徴的である。同56年に開通した主要地方道鳴門池田線に沿って新しい商業地帯となりつつある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7427808 |





