田上郷(古代)

奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」板野郡の1つ高山寺本は「多乃加美」と訓む当郷名の初見は平城宮出土木簡で「阿波国板野郡田上郷進⊏」とある(平城宮木簡1)また延喜2年の板野郡田上郷戸籍の断簡が現存する(蜂須賀侯爵所蔵文書/平遺188)同戸籍は前欠で,凡直広参・物部広成・栗凡直成宗・矢田部秀男および戸主不明の計5戸・665口について記しているが,重複が187口あり,実数は478口であるこのうち男は75口,課口年齢(17~65歳)の男に至ってはわずか40口にすぎず,残りの400口あまりは,庸・調不課口の女・老人・子どもである(年齢不明3口)このような不均衡な人口構成から,この戸籍は課役を免れるための偽籍とされている(県史1)当郷を「地名辞書」は現在の土成【どなり】町宮川内・吉田・高尾に比定するが,「地理志料」は現在の北島町鯛浜・江尻から徳島市川内町の一部にかかる一帯に比定しているまた天保15年10月に写された板野郡高房村延宝4年検地生地川成地払帳写の小字に「田ノ上」があることから北島町高房字田上付近をあてる説(北島町史),「和名抄」の記載順序,古代の板野郡における板野町域の文化・経済の先進性を考慮して現在の板野町に比定する説(県史1)鳴門市大麻町板東付近とする説などがある(鳴門市史)

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7428061 |