椿村(近代)

明治22年~昭和15年の那賀郡の自治体名。椿村・椿泊浦の2か村が合併して成立。椿・椿泊の2大字を編成。明治24年の戸数856・人口5,182(男2,655・女2,527),厩117,寺5,学校3,水車場11,船416(徴発物件一覧表)。大正元年の戸数1,027・人口7,344。大正年間より諸外国や他府県に出る村人が増加していった。大正元年には外国31・他府県215・県内他市町村112・その他26の計384人,同6年には外国97・他府県342・県内他市町村202・その他51の計692人,昭和11年には外国255・他府県243・県内他市町村65・その他23の計986人に及んだ。他村からの寄留者は,大正元年82,同6年120,昭和11年29人である。大正12年に,椿坂新道が開通し,福井村方面から阿南自動車が椿字横尾まで定期運行されるようになり,さらに椿泊の小吹河原まで延長された。海上交通は和船による椿字香~橘,椿泊~大潟港,椿泊~徳島航路が開かれていたが,明治34年に大阪商船により徳島~甲浦線が開かれ,同36年に大阪~甲浦線も開かれた。大正5年頃より発動機船による徳島~椿泊線が地元の徳栄丸・幸由丸(商栄丸)によって運航されるようになった。しかし昭和11年国鉄牟岐線が開通し,橘駅に近い大潟港まで小型汽船が運航されるようになり,昭和15年頃から大阪~甲浦線の寄港は停止された。明治12年に設立された椿泊郵便取扱所は,同18年貯金業務,同24年為替業務,同32年小包郵便業務と業務内容を拡大し,大正11年より電話を扱うようになった。明治40年に伊島郵便局が開設され,昭和13年に海底電信工事が完了し,電話通話が可能になった。昭和8年に椿字横尾に横尾郵便局が開局された。明治20年代に伊島の粟田徳蔵に率いられた漁民が潜水器・打瀬網を持って朝鮮海域に進出し,瀬戸貝の採取に成功した。瀬戸貝は乾燥食品とし,貝から取れる真珠も商品となった。盛時には漁船は34~35艘にも及び,収獲量年産20万8,000斤(10万2,000円)にものぼったが,明治43年の漁業法発布により船数は制限され,大正13年には19艘になった。伊島の朝鮮海洋での成功に刺激され,椿泊・蒲生田の漁民たちも朝鮮海域や九州沖の遠洋漁業に進出した。ことに長崎県五島群島での延縄漁・手繰網漁は目ざましく発展した。昭和15年には漁業戸数約720・漁師2,500人,年間水産漁獲高は魚類36万3,000貫(価格38万6,000円)・介類2,680貫(8,200円)・他の水産動物8,600貫(約1万1,000円)・海藻1万2,000貫(3,500円),漁船は動力船143艘・無動力船118艘である。漁業組合は明治28年蒲生田に,同35年伊島・椿泊に設立された。昭和14年の農家数330うち専業245・兼業85,自作135・小作45・自作兼小作150で,所有耕地面積は5反未満105・5反以上155・1町以上68・2町以上2(椿村史)。同15年の田237町3反余・畑49町9反余・宅地198町3反余,農家1戸当たりの耕作地は田8反・畑9畝で,産物は米麦を中心とし,果実・蔬菜・雑穀などが生産されている(同前)。昭和15年町制施行。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7428091 |





