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鞆浦(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ鞆奥村,大正12年鞆奥町,昭和30年からは海部町の大字。明治24年の戸数302・人口1,241(男619・女622),厩1,寺5,学校1,船134(徴発物件一覧表)。現在の海部東小学校は,明治6年に致道校として発足,同40年鞆奥尋常小学校となり,昭和30年に海部東小学校と改称。同年児童数332であったが,同59年には児童数148に減少。昭和22年に創立した鞆奥中学校は,同30年海部東中学校となり,同48年に海部西中学校と海部東中学校を統合して海部中学校と改称。鞆奥の漁港は,海部川改良工事によって築造した導流堤の南,支流立岩川口に,港湾突堤130m,これに続く防波堤255mをもって護られた河港性の漁港である。昭和45年頃の主な漁法と漁獲は,大敷網1統によりブリ・アジ・ボーゼ・イサギなど,角網10統でイワシ・アジ,桝網5統でスズキ・ヒラメ・イカ,改良網6統でイカ・スズキ・カマス,磯建網40統でエビ・磯魚,まき網26統でモジャコ,船引網でイワシ・シラス,延縄5,6隻でイトヨリ・アマダイ,棒受網15隻でサンマ,小敷網2統でイワシ,一本釣80隻でカツオ・マグロなどを獲り,このほか那佐湾でハマチの養殖漁業を行っている。最盛期の昭和40年頃は動船71隻,漁業従事者266人,雇用者175人であったが,近年沿岸漁業の不振によって縮小されつつある。港柱神社の祭礼は,豊漁祈願と海上安全を願う角力の奉納が行われることで有名である。特に幼児の土俵入りは,この年に生まれた浦中の男児は腰に化粧まわしをしめ,紅白だんだらの鉢巻を頭に巻いて四股名も可愛く土俵入りをする。昭和59年世帯数285・人口925。漁船総数約200艘の漁師町である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7428173