中西(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ三縄村,昭和34年からは池田町の大字。明治22年三好新道(現国道32号)が開通し,地内西北端を通る。同24年地内に三縄村役場設置。同24年の戸数200・人口1,077(男575・女502),学校1,船18(徴発物件一覧表)。同38年に大利から移転した三縄高等小学校は,同44年に地内の中西尋常小学校と合併し三縄尋常高等小学校となり,昭和22年三縄小学校となる。大正9年地内中央を祖谷街道開通。昭和6年地内西端吉野川沿いを国鉄土讃線(現土讃本線)が通り,三縄駅開業。以後三縄村の中枢として発展。吉野川を利用した木材流送の基地となり,製材業が盛んになる。昭和31年簡易水道通水。同51年水道拡張完成。昭和50年の世帯数595・人口2,079。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7428237 |





