100辞書・辞典一括検索

JLogos

55

白地(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ佐馬地村,昭和34年からは池田町の大字。明治24年の戸数605・人口3,526(男1,827・女1,699),寺2,学校2,水車場1,船56(徴発物件一覧表)。同33年の戸数625・人口3,242。明治29年白地流材組合設立上申。同43年雲辺寺絹本着色聖衆来迎図,同44年千手観音像・毘沙門天立像が国重文となる。昭和2年三縄村中西とを結ぶ白地橋(現三好橋)完成。同16年白地木材運輸組合結成。同23年北部山間の野呂内地区に電灯ともる。同29年白地内の上水道完成。昭和33~36年野呂内地区に高冷地野菜と椎茸栽培が始まる。同50年の世帯数751・人口2,831。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7428416