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傍示(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ高鉾村,昭和30年からは上勝町の大字。明治24年の戸数180・人口1,075(男565・女510),寺1(徴発物件一覧表)。地内の共有林は江戸期から存在したが,大正13年共有林のうち96町9反9畝(実測170町2反)を傍示名住民に売却し,残り119町7反余の林野は高鉾村との間に官行造林契約をし,傍示名に向こう50か年の地上権を設定した。高鉾村収益金の30%は傍示名の公共事業費に充当することになった。昭和30年に高鉾財産区が発足するが,傍示名住民よりたびたび分収金比率を50%に改訂するよう要望があり,昭和43年に財産区との間に財産区有林118.0514haからの収益金配分につき契約がなされ,同48年には字下地の山林45町8反9畝については造林木収益の60%を名の取分とし,造林・育林に要する費用は名が負担し,名の地上権設定は50か年間とし,地上権が消滅した時は造林地は財産区に返還するなどの内容である。農林業を主産業とし,傍示谷川ではシイタケ栽培が盛んで,温州ミカンの西限にもあたり,ミカン園も多いが,近年の不振で減少しつつある。正木ダムの建設に伴い,勝浦川沿いの県道徳島上那賀線(旧福原街道)の正木傍示バイパスが完成。集落と耕地は高鉾山の南斜面にあり,標高150~600mの緩斜面に多く立地する。世帯数・人口は,昭和35年168・676,同55年148・503と過疎化が著しい。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7428660