蒲野(近代)

明治23年~現在の大字名。はじめ三都村,昭和29年からは池田町の大字。明治24年の戸数182・人口990(男510・女480),幅員東西16町余・南北1里4町,学校1,50石以上の和船8・小船52(徴発物件一覧)。同年の反別230町8反余,うち田7町4反余・畑65町8反余・山林151町余。同27年175戸・974人,同37年1,028人,同42年171戸・1,003人,大正2年173戸・1,073人。農業を中心とし,ほかに漁業,果樹栽培,素麺製造などが行われ,また,砂糖黍は種苗用としてつくられた。漁業は鰯網・巾着網2帖があり,鰯が多く,鯛・鰹・海鼠などもとれた。明治30年頃から瓦製造が行われ,阪神・岡山方面へ移出された。果樹には夏橙・ミカン・梨・ネーブル・桃・イチジクがあった。昭和5年,海運会社の小豆島大運組により正宗丸が苗羽【のうま】~岡山間を航行,1日1往復し,当地および下村・高松・土庄【とのしよう】・三幡などに寄港した。世帯数・人口は,同35年182・919,同45年164・624,同55年153・469。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7429322 |





