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栗熊村(近代)


 明治23年~昭和26年の自治体名。はじめ鵜足郡,明治32年からは綾歌郡に所属。栗熊東・栗熊西の2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。村名は郷名による。明治24年の戸数582・人口2,903(男1,500・女1,403),倉庫31,寺3,学校1,水車場2(徴発物件一覧)。純農村地帯で米・麦中心の農業が行われた。昭和8年県から農山漁村経済更生の指定をうけ,同11年には経済更生特別助成村に選定された。ちょうど大陸進出満州開拓の気運が高まった時であったので,広大な土地で経済更生の実をあげようと同12年から10か年計画で満州に分村を開始した。同16年までには学校・寺院・神社も完成して170戸・570人の栗熊村が誕生した。開拓は順調に進んだが第2次大戦で多くの犠牲者を出し引き揚げた。引き揚げた開拓団は同21年鳥取県の大山山麓に再入植し,香取開拓団として酪農専業の経営を行って今日に至っている。村の中央を東西に走る金毘羅街道は明治に入って県道となり,順次改良され,同45年には国道32号となった。大正7年乗合自動車が走り,昭和2年現在の高松琴平電鉄琴平線が高松から琴平までのび,栗熊駅ができた。大正9年の世帯数617・人口2,763(男1,359・女1,404)でそのほとんどが農業に従事している。昭和5年の人口2,874,世帯数・人口は同10年595・2,892(男1,458・女1,434),同25年649・3,447(男1,658・女1,789),同年の職業別人口は農業1,409・サービス業79・製造業76などとなっている。昭和26年久万玉村の一部となり,2大字は同村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7429496