高屋町(近代)

昭和31年~現在の坂出市の町名。昭和41年松山中学校が統合廃止された。松山地区の中心として松山幼稚園・松山小学校・松山農協など各種公的機関が集中する。都市近郊型農村として青海町・大屋富町とともに蔬菜団地を形成。金時ニンジン・早掘り甘藷はミカンに次ぐ特産物となっている。同45年の松山地区の農家世帯数680。同56年高松坂出有料道路が雄山と雌山の間から高松へ向かって通る。シーズンともなると,霊場めぐりや国立公園五色台への西からの登山口として車の通行がにぎやかとなる。白峰山西斜面中腹を走る県道鴨川停車場五色台線際に坂出簡易保険保養センターが建設され,観光地としての性格もみられる。同58年の世帯数480・人口1,786(男876・女910)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7429854 |