小部(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ波方村,昭和35年からは波方町の現行大字。大正5年の戸数457・人口2,634(越智郡々勢誌)。昭和5年の世帯500,同35年の世帯613・人口2,793。小部学校は明治20年馬刀潟の宮崎学校と合して馬刀潟に馬刀潟簡易小学校を開設したが,同22年波方尋常小学校に統合。同35年小部漁業組合が発足,同42年の漁獲はタイ・イワシ・イカナゴ・サワラを中心として漁獲高4万8,000円,明治・大正期には,イワシ網20~25統があった。昭和4年の漁船291,漁業は副業も含めて業主294人・雇人539人,水産加工は業主75人・雇人23人。大正4年波方郵便局が発足し,同9年小部郵便局と改称。翌5年今治~小部間に定期自動車が運行開始。明治中期から綿業が盛んとなり,大正2年,今治からの綿ネル分工場は5工場,工女69名であったが大正末期からタオルに転換し,昭和2年には婦女子の労働力を利用して木村タオルが創立。明治期から昭和初期にかけ,漆器行商の椀船に乗り込む売子が約30名であった。昭和30年には町営住宅10戸が完成。同49年バイパス道路が開通。昭和43年児童館,同54年公民館を新築。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7431114 |





