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歩行町(近世)


 江戸期~明治初年の町名。松山城下の町名の1つ。城下の東部に位置し,江戸後期,東は持田村,西は小唐人町,南は鮒屋【ふなや】町,北は喜与町・東雲【しののめ】町に接した。幕末の藩家老竹内信英の「垂憲録拾遺」によると,町並みが乱れているので,藩は寛文3年町の各家におろ竹を,町に銀5貫匁を給与して整備させた。その結果出入の町並みおよび道路の高低が直ったという。元禄期の記事を載せた「松山町鑑」の総町71町の中には見えないが,元禄~正徳年間と推定される「松山城下町絵図」に見え,家中屋敷が記されている。下級武士の徒士の居住地域であった。年不詳だが,明治初年に南歩行町・中歩行町・北歩行町に分かれた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7431371