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郷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。新居郡井上郷のうち。西条藩領。沢津組に属す。村の広さ東西50町・南北15町。村高は「慶安郷村数帳」では605石余,うち田403石余・畑196石余,「元緑村浦記」623石余,「天保郷帳」1,212石余,「旧高旧領」1,238石余。村高の増加は,享保年間以降当村の地先干潟を利用した新田開発・塩田造成が進められたことによる。寛文5年の家数75軒(郷村庄屋文書/西条誌)。天保13年頃の「西条誌」によれば,村の広さは,東西50町・南北15町。家数265軒・人口1,226。土地が高燥のため,船木村池田池からの引水では灌漑水は不十分であった。また飲料水も不足のため1井戸を15~30軒で共用した。宝暦3年西条藩が免の1割引上げを企図したとき,当村又野の平兵衛と隣村宇高の孫兵衛・弥一左衛門の3人が中心となって一揆をおこし,郡内16か村の農民が西条城下に押し寄せた。3人は捕えられて斬罪となり,一揆勃発の責任を問われた郷組大庄屋の藤田氏は罷免されたが,一揆の要求は叶えられた。枝在所に落神【おちがみ】・又野・楠崎がある。国領川東岸に新居郡東部の戦国武将で近隣7か村の領主藤田氏の拠った岡崎城跡がある。社寺は岡崎表ノ天皇社・岡崎裏ノ天皇社・白山権現社・清住三大妙見社・興玉明神社・薬師堂・阿弥陀堂・地蔵堂。名物は芹・牛蒡。明治6年愛媛県に所属。「新居郡地誌」によれば,村の広さは東西1里14町・南北15町。地味は,「田其土薄黒ニシテ埴シ砂礫ヲ混ス其質美ナリ稲麦作ニ宜シ,年ニヨリ旱損ノ憂アリ,畑其土薄黒ニシテ埴シ砂礫ヲ混ス」とある。田97町余・畑44町余・宅地13町・山林407町余。戸数387,うち農業295・工業28・商業39,人口男782・女732。牛85・馬1。明治9年当村の三多喜浜が多喜浜村の一部となる。同年創立の有楽学校は白井にあり,教員3,生徒数男60・女5。戸長役場は下郷にあった。村社は岡崎神社・白山神社・清住神社・興玉神社。物産に綿750斤・苧麻2,520貫・砂糖2,685斤などがある。明治22年神郷【こうざと】村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7431882