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白浦(近世)


 江戸期~明治22年の村名。宇和郡のうち。はじめ宇和島藩領,板島組に所属。明暦3年からは吉田藩領。立間郷に所属。村高は天正検地では39石余,「慶安郷村数帳」では157石余,うち田142石余・畑15石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに157石余,「旧高旧領」245石余。喜佐方村付近に飛地があった。「郡鑑」によれば,承応元年の家数76軒,うち水主25,人口230,役苫150帖,物産は茶・麻苧・真綿・漆など。寛文6年の「網安代之覚」には網5帖・網代18か所・鮗網1帖・網船8・小船21。寛文年間の「西海巡見志」では,「高札あり,湊あり,西風悪」とあり家数61,船数23・加子数170。枝浦に花組浦・筋浦があり,高および加子はそれぞれ白浦のうち。神社は天満神社,寺院は浄土宗長福寺(延宝9年吉田領寺社古記並古城跡之覚書)。伊能忠敬の「測量日記」文化5年閏6月28日の条に,「吉田領白浦枝筋浦花組浦,白浦字三尾浦家七軒,字畔谷【あぜや】浦家五軒を過,白浦本浦ニ至て中食,庄屋祐右衛門」とある。幕末の家数133軒,百姓58・無縁75,牛17・馬1(吉田町誌)。明治6年愛媛県に所属。「宇和郡地理全志」によれば戸数171・人口920。同年南山学校開校,同11年東宇和郡に所属。同15年筋浦・花組浦を当村に合併。明治22年玉津村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7432237