須川(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ喜須来村,昭和30年からは保内町の現行大字。須川里(単に里【さと】ともいう)・日ノ地【ひのじ】・奥【おく】の3地区からなる。明治23年柳谷鉱山,翌24年には永坂鉱山が創業。柳谷鉱山は年産370tの粗銅生産があったが同26年,鉱毒・煙害問題から採鉱を一時中止した。永坂鉱山は銅鉱年産1,100~3,700t,明治44年では従業員32人,大正~昭和を通じて休山,再開発をくり返し昭和33年休山。明治32年喜須木村役場が大字喜木より移転。明治40年代~第2次大戦後の昭和20年代にかけ夏柑栽培と養蚕が主産業であったが,昭和20年代後半から温州ミカンへの転換がすすみ,現在では耕地のほとんどは樹園化された。昭和37年,南隣りの八幡浜【やわたはま】市と直結する名坂【なさか】トンネル(国道197号)が開通したことから,国道沿いに都市化がすすんでいる。昭和45年の世帯206・人口809。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7432294 |





