鉄砲町(近世)

江戸期~明治22年の町名。江戸期は松山城下の町名の1つ。明治18~22年は松山を冠称。鉄砲屋町とも称した。江戸後期,東は水口【みなくち】町,西は新町・傘屋町,南は傘屋町,北は清水町・味酒【みさけ】村に接した。城下の北端に位置し,東西の町筋とその周辺部を含む。元禄期の記事を載せた「松山町鑑」の総町71町の中や,当時の城下町絵図には,町名は見えない。寛政12年藩主が桑名から鉄砲鍛冶をよび,火縄銃を作らせたという。これが町名となったと思われ,江戸後期に鉄砲屋町,のち鉄砲町と公称されるようになったと推定される。明治6年愛媛県に所属。「温泉郡地理図誌」によれば,町の規模は東西144間・南北108間,戸数57・人口233。明治22年松山市の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7432638 |





