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外山村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。浮穴【うけな】郡砥部郷のうち。大洲【おおず】藩領。村高は「慶安郷村数帳」では70石余,うち田57石余・畑13石余,「元禄村浦記」・「天保郷帳」ともに70石余,「旧高旧領」では54石余。元文5年の「大洲秘録」によれば物産は米・大豆・薪などで「伊予砥と云う砥石山あり」と記す。伊予砥は造仏の研磨料として古くから知られ,「大洲旧記」は「調法無類の産物也」と評している。明和元年ごろ大洲藩は当村の砥石屑捨夫を村々より徴発することを廃止(御替地古今集)。寛政元年・宝暦年間などに藩により当村の砥石山が開発されている(嘉永2年殿様御越諸事控/編年史8)。氏神は大南村大宮八幡宮,檀寺は宮内村の真言宗永代寺(御替地古今集)。明治6年愛媛県に所属。「浮穴郡地誌」によれば,村の広さは東西20町・南北25町,戸数68・人口287,職分は農業278,牛15・馬30。物産は米のほか自給用に大豆・小豆・麦・大根・蕪菁・蕎麦,出荷用に蜜柑・柿・梨・栗。神社は天王社・石山神社・大元社。明治9年砥渓学校開設。同11年下浮穴郡に属し,同22年砥部村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7432748