井崎(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ十川村,昭和32年からは十和【とおわ】村の大字。明治23年四万十川洪水により井堰・堤防などに被害が出る。同24年字カモウ田・マツバソリ・長田などの堤防修築工事が始まる。水害のため村共地加治子料が軽減された。同年の戸数68・人口358(男182・女176),厩42,船7。同32年大野小学校井崎分校を廃止し,十川村第三尋常小学校となる。大正2年村道井崎線の渡場から茶堂までの総距離10町余,同4年里道第1号線の渡場から堂ノ前までの総距離576間余の改修工事に着手。昭和18~20年の十川村満州分村で,当地からも82名(男25・女20,子供37)が万山十川開拓団に入植したが,敗戦で51名(男10,女12,子供29)の犠牲者を出した。同26年昭和村大井川の一部を編入。同31年当地と広瀬間に藤の瀬沈下橋が完成,現在対岸の広瀬と結ぶ抜水橋を建設中。昭和32年南米パラグアイに2家族移民する。近年,緑茶栽培が盛んになり良質の茶が生産されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7434207 |





