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泉村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。高岡郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳19石余(南路志),寛文7年の郷村石付では「以津ミ」と見え同高,寛保3年の郷村帳および「天保郷帳」ともに19石余。明治3年の郷村帳では別府山【べふやま】1,511石余のうち。「天保郷帳」に「別符山村枝郷」と見え,「南路志」では「別府之内」とある。元禄地払帳によれば,本田は深尾若狭知行で19石余。寛保3年の郷村帳によれば,戸数25・人数136(男75・女61)。「土佐州郡志」には「東限長者村刑部藪峰,西限鳥形岩神峠,南限長者村谷,北限高在家山唐岩」とある。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」には「高瀬之内」と見え,「地面高瀬村・森村・川渡村三支配混有之由」とあり,戸数35許・人数150許,馬7~8,産物については「近年楮草生育仕代銀ニ直壱ケ年ニ凡壱貫五百匁位出来仕候由,麦も生立,大抵作間白はしなどけずり申候由」とある。寺社は,「土佐州郡志」では薬師堂のみが残る法泉寺と池大明神・八社大明神・五社大明神,「南路志」では五社大明神と地蔵があるのみ。元禄3年内番所が設置され,はじめ西森氏,享保8年からは中越氏が番人を勤めた。同番所は明治2年に廃止された(仁淀村史)。同4年高知県に所属。同年末から翌年正月にかけて起こった膏取一揆には当村民も参加,明治4年12月16日には当村民40人を含め大植村・長者村の総勢369人が長者役場を包囲したが,村用係西森淳三郎の説諭で囲みを解いた(同前)。同8年泉小学校創立,同13年同校は大植小学校に統合され廃校となる(仁淀村長者郷土誌)。同22年長者村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7434227