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江川村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。幡多郡のうち。土佐藩領。村高は,寛永地検帳447石余(南路志),寛文7年の郷村石付と寛保3年の郷村帳とも同高,「天保郷帳」では「下山村枝郷」として551石余,明治3年の郷村帳では871石余(本田447石余・新田423石余)。元禄地払帳によれば,本田447石余,すべて御蔵知,新田92石余うち市川仁兵衛領知22石余・御貢物地6石余・井上作之丞領知19石余,ほか5人の領知。「南路志」には下山郷のうちとあるが,下山郷は下山上分・下山下分に分かれ,うち当村は下山上分に属し,その本村下山村(川崎村)と並ぶ中心村であった。寛保3年の郷村帳による戸数129・人数585(男329・女256),牛43・馬2,猟銃13。また「土佐州郡志」によれば下山21村の1つとあり,村の広さは東西1里・南北2里,小村に中家村・庭田村・押谷村・大江村・市野々村・権谷村があり,戸数102,四万十川を下って下田浦まで12里,運漕の便がよく,土産は楮・茶・葛・蕨,および下山弓があり,下山弓は弓作りの良工市川某が高岡郡須崎から当村へ移住して世に喧伝されるようになったという。また本塒山・須々井越山・潰峠をあげて伊予国との国境を示し,小村の庭田村と市野々村に番所を記す。なお古城跡が2つある。享和元年の「西郷浦山分廻見日記」によれば,庄屋・老が置かれており,家数162・人数883,牛馬64,猟師筒30,御留山3,御用紙大中折48束4帖・同小中折16束9帖,御用楮79貫210匁,御蔵紙4,784束,御定納御仕入銀6貫784匁,庭田口番所・権谷口番所および庭田の谷入と江川本村帆柱に山道内番所があり,うち権谷口番所について,伊予宇和島の商人法花津屋久助手代7人が同番所から出入りして諸産物を他国へ出していると見える。当村は紙漉きが盛んであったが,文政7年紙取扱いの改正を求め,紙一揆と呼ばれる江川一揆が起こっている。また江川牛は良種として全藩的に有名であった。寺社は,「土佐州郡志」には,長善寺・同寺末保安寺・小林庵・正玄庵・自玄庵・正寿庵・小島大明神・山王権現社・河内大明神社・黄幡社・白皇権現社・熊野権現社が記され,「南路志」では文江山芳安寺・正林庵・正玄庵・自玄庵・正寿庵は退転し本尊のみ残るとある。明治4年高知県に所属。同22年江川崎村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7434487