大宮(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ津大村,昭和33年からは西土佐村の大字。明治24年の戸数148・人口614(男322・女292),厩58。世帯数・人口は,昭和35年172・880,同45年155・600(西土佐村統計)。明治期の馬数は昭和5年頃まで変化がなかった。馬で物資を運搬していたが,木材は出水時目黒川を流し,四万十川合流点で筏に組み下田港に送り出した。上流の国有林は愛媛県域であったが,大宮の人々の活躍の場となっていた。明治35年地内の車道は村道となり,大正12年県道に編入。昭和6年全線開通,津野川松丸線となり,馬の使命は終わり,農耕用も肥料の関係で全部牛に変更された。また愛媛県宇和島地方にならって闘牛も隆盛期を迎え,所々に闘牛場ができ,木流しの名人は,闘牛師の花形に変身した。大正13年県下初の小作争議が起こり,愛媛県からの指導者も入ったため長く続いたが,昭和5年ようやく決着,大宮農民組合が結成された。昭和3年目黒川沿線初の抜水橋完成,大正3年江川に架橋された県道鉄筋コンクリート橋に次ぐもので,村道としては最初のものであった。昭和26年バス開通,宇和島バスの乗入れも開始された。鉄道も村内の国鉄予土線江川崎駅よりも愛媛県松丸駅に近い。同58年の世帯数154・人口509。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7434727 |





